仏像鑑賞が好きになったきっかけ
こんにちは。日にちがあいてしまいました💦
1号くん(長男)がついに今日から学校です。そして2号くん(次男)は慣らし保育で3時間だけ保育園で過ごしています。
我が家の新しい生活が始まりました。わたしも気を引き締めなくちゃ、なんて思いながら本棚へ向かいます。
仏教の本や、お寺がある場所の市史の本、地域のお寺向けの新聞、お坊さんたちの法話集。他にも、簿記2級、宗教法人の税金・法律…。
勉強しなきゃいけないこと盛りだくさん。なんだけど。どうしても手に取ってしまう、好きな仏像の本や雑誌たち。
きっかけは、カカオの神様
高校を卒業するまで、そこまで仏像に興味はありませんでした。もちろん嫌いなわけではなかったけど。
卒業してから、友達同士で『大好きだった世界史の先生と遊びに行こう』という話になり、どういうわけだかみんなで行ったのは
マヤ文明展。
日本史専攻だったわたしにとってはアウェーでしたが、10代の箸が転んでもおかしい時期。友達と先生とワイワイお出かけすることが目的だったので、全く問題はありませんでした。
その展覧会で出会ったのが、カカオの神様。
この異様さ、伝わりますか・・・?写真では見えませんが、背中の方までびっしりとカカオ豆と思われるツブツブがあるんです。集合体が苦手な方は見られないレベル。
古代マヤ文明ではカカオ豆はとても貴重で、宗教儀式で重宝されたり、通貨としての役割もあったりしたとか。
チャーリーとチョコレート工場で、ウンパルンパ達がカカオ豆を崇拝しているシーンがあるのですが、それは古代マヤ文明の習慣から来ているのではないかと思っています。
とはいっても、これが神様だとは・・・!わたしの目には神さまにはとても見えない・・・けど、なんだか気になる・・・。
そして、このカカオの神様は今から約4000年前(!)に生きていた人たちに拝まれていたのかと思い、背中からぞわっと興奮したことを今でも覚えています。
カカオの神様から観音様へ
でも、それからマヤ文明にハマることなく生活していたわたし、生粋の日本史専攻です笑。でもあのぞわっとが忘れられずにいました。
その少し後、同じ高校メンバーで京都へ旅行に行こうという話になりました。それぞれの好みがバラバラだったので、人数と同じ日数泊まることにして、1日目は○○ちゃん・2日目は○○ちゃん・・・という形でそれぞれの好みの観光地を回りました。
旅は、自分の興味以外の分野も楽しめる、とても有意義な旅でした。でも、なんとなく物足りない感覚で帰ってきたのです。その理由を考えた結果、同じメンバーでいる時に感じた、ぞわっとがないからだ、と気づいたのです。
そこで、次の長期休暇の時にまた京都へ行くことを決めたのでした。高校の日本史の教科書を片手に笑。
さて、(確か)2泊3日。どこへ行こう。と、行く道中で迷う旅。わたしの旅っていい加減なんです笑。
日本史の教科書をパラパラめくっていくと、2年生の時に勉強した飛鳥時代のページに、当時先生が言っていた、摩訶不思議な仏像というメモがありました。
結果的にマイ・ベスト仏像になる観音様です。語り出したら止まらなくなるので、詳細は割愛しますが、とっても独特な歴史をもつ観音様なんです。
法隆寺に行ったこともないし、京都からそこまで遠くないので奈良の法隆寺へ。
結局、夢殿の救世観音像は秘仏(普段見られない)なので出会うことはできませんでした。見られなかったからこそ、どんどん気になる存在に・・・。ミステリアスさにどっぷりやられたのです。
その代わりに出会ったのが、百済観音像。これは、今のわたしにとってはベスト5に入る好きな仏像です。語り出すと止まらないので(以下略w
それと、釈迦三尊像。これも以下略ww
法隆寺では芋づる式(と言っていいのかわかりませんが)にどんどん気になる仏様と出会うことになったのです。
法隆寺で出会った仏様の詳細はこちらへ。
その後、春と秋の救世観音像の御開帳(普段見られない仏像を見られる)期間に合わせて、旅行を兼ねて何度も法隆寺へ行くことになったのです。
もちろん、法隆寺以外のお寺にも行ってお参りします。こうやって、20代前半にはレッキとした仏像好き女子になったのでした。
ダメ押しの、くし
20代の若かりし頃は、遊びにも大いそがし。新しい友だちと、新しい世界での遊びが待っています。ちょうどその頃に東南アジアにもハマり、友達とお酒を飲んだり、クラブで朝まで踊って過ごしたり。とにかく、興味の対象は無限大∞の時期です。
そんな中、勉強要素の強い仏像鑑賞はやっぱりわすれがちに…というか、ほぼノータッチになっていきました。
そんなある時、大学の西洋美術史の授業で課外学習があり、博物館に行きました。どこのどんな展覧会だったか覚えていませんが、西洋を対象にした展覧会です。仏像に出会うような場ではないし、わたしは単位を取るためだけに仕方なく行ったのです。
そこで見なければいけなかったのは石膏像。すぐに飽きて他の展示物もふらふらと眺めたりしていました。
そこでたまたま出会ったのです。どこの国のものだかはわからない、西暦800年頃に使われていた、くし。髪をとかす、あのくしです。そこでまたわたしは、ぞわっとしたのです笑。
鳴くよウグイス。ちょうど平安時代くらいの人が使っていたくし。どれくらいの頻度でどんな人が…なんて詳細はわかりませんでしたが、実際に使っていた人と、くし目線からすると同じ距離に立つわたし。
その”くし事件”がきっかけで、また仏像に目を向けるようになりました。
くし目線、と考えるとあまりピンときませんが、仏像目線、と考えるとわりとしっくりきたのです。
以前もサラッと書きましたが、仏像目線で物事を想像すると、ぞわっとします。
例えば、この仏像は、どんな理由で作られたんだろう?
仏像を掘った人は、どんな気持ちで彫刻刀を握っていたんだろう?彫りながら、一心に仏心のことを考えていたのかな?それとも「今日の晩ごはん何だろう?」なんて考えることもあったのかな?
そして、その仏像の前で手を合わせた人は、なにか願い事をしたのかな?わたしみたいに、「1号くんに友だちができますように」とか「2号くんが野菜食べてくれますように」とか、そういうことを願って手を合わせた人はいるのかな?いるとしたら、いつの時代に人なんだろう?
そもそも、「お腹いっぱいごはんが食べられますように」って願った人もいるよね。「明日も無事に生きていられますように」って手を合わせた人もいるよね。
そうやってたくさん想像すると、ひとつの仏像を通してたくさんの人のたくさんの願いと、自分と自分の願いが交差していきます。
カカオの神様とくしと出会って
そうやって、細く長く、仏像鑑賞の趣味が構築されてきたのです。
高校卒業のカカオの神様との出会いが18歳だとすると、仏像鑑賞はかれこれ18年来の趣味になります。今計算して、18年という数字にも驚いていますが。
わたしの仏像の楽しみ方も、いずれ書いて行こうと思いますが、今日は長くなってしまうのでここまでにしておきます。
やっぱり、仏像に関しては語り始めたら止まりません笑。