住職になりたいママのブログ

住職を目指している二児の母です。

【帝王切開体験談】マヤ夫人を想う

明日は1号くん(長男)の入学式です。毎年思いますが、入学式を4月8日と決めたのはいったい誰なのでしょう?

おかげでわたしは、小さい頃から入学式に両親が揃うことはありませんでした。でもそれに不満を感じたことはありませんでした。

だって生まれてからずっと、4月8日はお釈迦様の誕生日花まつりなんだもの。それがわたしにとっての常識だったから。入学式に父が来られないのは当然。

それでも、明日の1号くんの入学式は、我が家は会社員の夫くんとわたしの両親揃って行くことにしました。

1号くんは帝王切開生まれ

今は『キャラクター物のお弁当箱は、恥ずかしいからやめて』なんて生意気を言うようになった1号くんが生まれたのは、約6年前の春のこと。

妊娠中から発育順調な胎児で、食事をしっかりとっていればつわりもなく、階段を何度も上ったり降りたりしてもビクともしない。そんな赤ちゃんでした。

初めてのことだったので、少しは妊婦さん向け雑誌を読んで勉強しましたが、それまでがあまりにも順調だったので、なんとかなるだろうと安心しつつ、実家へ。

そして、予定日が2日過ぎた日の夜中、お腹の痛みがないまま破水。そのまま入院しました。

不安もありましたが、陣痛前に破水するのは珍しいことではないそう。しかも助産師さんいわく、もう陣痛が来ているのだとか。痛くないけどなぁ・・・。そこで、【痛みに鈍感】というレッテルをいただいたわけです笑。

破水すると赤ちゃんを守るクッションがなくなってしまうから、できるだけじっとしていなければいけないと指示をされ、できるだけ寝返りを我慢しました。

そのまま4時間(!)

だんだんとお腹が痛くなってきて、やっとわたしは陣痛の痛みを知ることになったのです。

だんだんと強くなる、定期的な痛み。そして、クッションがなくなっているからこそ感じる、赤ちゃんの頭突き。これも痛い。

痛いんだけど、赤ちゃんが一生懸命外に出ようとしているのを直に感じ、体の中に別人格がいる感覚が何とも不思議で、ちょっと怖い

痛みと戦っている間、辛くなってくるので水を飲みたいのだけど、「手術になるかもしれないから」と衝撃の理由で水を飲ませてもらえません。

赤ちゃんの心拍数がどんどん下がって、生まれてきてくれないのです。心拍音が聞こえる装置をつけていたのですが、時々極端にテンポが遅くなり、周りのスタッフさんがバタバタします。酸素マスクをつけたわたしも、その頃になると痛みでわけがわからなくなって、ただ「痛い」としか思えなくなりました。

朝の7時ごろから始まった陣痛でしたが、14時まで耐えたところで帝王切開が決定しました。

「赤ちゃんが苦しくなっちゃっているから、手術するからね。」

お医者さんのその一言で、『痛い』でいっぱいだった気持ちのなかに『恐怖』が食い込んできました。

お腹を切るという恐怖がダイレクトに心を揺るがせます。恥ずかしながら、その恐怖が強すぎて、麻酔の注射を打つための痛み止めの注射(!)を打つまで、赤ちゃんが危ないかもしれないという事実には気持ち的に蓋をしていました。多分、怖すぎて。

医療系ドラマでやってる、『緊急オペ!』みたいにバタバタしている医療現場。同意書は生生しく、恐怖をさらに掻き立てます。サインしたくても、痛くてできない。陣痛の合間を縫ってサイン。

何度も名前を呼ばれて、「1!2!3!!」と手術台に乗せられて、「ちょっとチクってするよ~」って全然チクってレベルじゃない注射を打って…

まな板の上の鯉

とか変なことを考えているうちに、すぐに生まれました。1号くん。

感動とか安心とか、そんな言葉では表せない感情が溢れます。涙が止まりません。開腹状態で泣くわたし。どんな地獄絵図。

幸い、1号くんは元気に生まれてきてくれました。わたしはお腹を縫う必要があるので、先に新生児室へ移動していきます。助産師さんに抱っこされてわたしの隣に来た1号くんを見たわたしは、感動や安心を通り越して

めっちゃ爪のび

と思ったことを覚えています。

1号くんが別室へ行きましたが、わたしはその後がまた大変。開腹して生まれるまでは5分くらいだったと思いますが、30分くらいかかりながらお腹を縫っていきます。

その間、もう何時間も、水一滴も飲んでいないのにやってくる吐き気と頭痛。手術後、両親や義両親が病室を行ったり来たりしていたようなのですが、ほぼ記憶はありません。

そして夜中、お腹が痛いんです…。

後陣痛といって、胎児サイズになった子宮を薬で収縮させているからです。これがもう、寝ていられない。しかも、傷も痛くて寝返りも打てない。もうどこが痛いのかわからないけど、痛い。しかも、発熱。喉が渇いたのに、朝まで飲めないと言われて絶望…。

後で知ったのですが、1号くんもこの頃発熱していたんだとか。それでも元気に、規定量以上の糖水(ミルクの代わり)をガブガブ飲んだそう。

手術後、慣れない授乳やわけのわからない精神状態を経て退院。傷は全く痛くなくなるまで半年くらいはかかったと思います。今でもたまに痛むことがあります。

新幹線距離に住んでいた夫くんとやっと対面したのは、母子共にだいぶ回復してから。それでも、あんなに弱っているわたしは初めて見たと言っていました。出産後わたしが初めて夫くんに言ったことは

もう二度と出産したくない。

でした笑。それくらい、大変だったのです。まぁ、4年後に2号くんが生まれたのですが。

わたしとしては、壮絶な出産劇だったのでした。

お釈迦様は帝王切開生まれ

お釈迦様は、インドの人です。インドにいたシュッドーダナという王様と、マヤというお妃様の子どもです。

マヤ夫人は、里帰り出産をするための帰省中に産気づき、お釈迦様は夫人の脇の下から生まれてきたそうです(『摩耶夫人』と検索すると、脇の下からお釈迦さまがでてくる摩耶夫人像の写真がたくさん出てきます)。

これは帝王切開を意味しているといいます。そしてマヤ夫人はお釈迦様を出産後、7日で亡くなってしまいました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

おしゃかさま [ 本間正樹 ]
価格:1324円(税込、送料無料) (2022/4/7時点)


4月8日はお釈迦様の誕生日

昔は、花まつりイコール誕生日!甘茶をかけてお祝いしましょう!

という印象だった、お釈迦さまの誕生日。

今、帝王切開を経て母になったわたし。わたしが出産したのは、平成の最後でした。2号くんに至っては令和生まれです(2号くんも帝王切開)。21世紀の技術をもってしても、とても壮絶だった出産。

数千年前(!)に帝王切開で出産し、その7日後に命をおとした摩耶夫人のことを想わずにはいられません。

だって、里帰りも新幹線ではないのです。アルコール消毒とか、多分ないでしょ?麻酔とか、あんまりないでしょ??メスだって鉗子だって、わたしのお腹を切ったものとは全く違うはず。恐怖も痛みも、全然違うはず。それでも出産しようと覚悟を決めたお姫様。お腹を開こうと決めた医療関係者。

そして、母として子どもの成長を見届けられなかった摩耶夫人。それから、母の顔を知らないお釈迦様。

結果的に悟りを開いたお釈迦様だけど、摩耶夫人の妹が育ての母となってくれたけど、子どもの頃はきっと生みの母に会いたかったろうなぁ。

想像すると涙が出そうになります。

花まつりに摩耶夫人を想う

4月8日は、全国のお寺でお釈迦様がフォーカスされる日です。甘茶をかけたりお花を飾ったり、華やかな1日になると思います。

わたしが母だったら、自分の子どもの誕生を誰か祝ってくれることは幸せなことだと感じると思います。お寺関係者として、しっかりとお祝いしたいなと思います。

だけど、摩耶夫人のことを想う時間も持ちたいな、なんて思うのです。お釈迦様のお母様として、ではなく、恐れ多くもママ友感覚に近い感情で、いたわる時間を持ちたい、と思うのです。