お坊さんになりたい!①
お坊さんになりたい!なんて、まぁほとんどのママさんは思ったことないですよね💦
なんでお坊さんになりたい!なんて思い始めたのか。今日は、わたしの生い立ちを書いていこうと思います。
お寺にうまれ、お寺で育ちました
今から約40年前、とあるお寺の息子と、とあるお寺の娘が結婚し、その間に誕生したのがわたしです。父も母もお寺の出身なので、親族は大半がお寺関係のサラブレッド(?)。
それでも、女だし、両親から「継いでほしい」みたいなことを言われることもなかったし、「お坊さんになりたい」なんて1mmも考えたことありませんでした。
小さな田舎の地元公立小中学校を卒業し、高校へ進学。
将来の夢や就きたい職業は決まっていなかったけれど、英語が得意だったので、国際的な仕事がいいなぁと漠然と思っていました。
文集の将来の夢には『アラブの石油王の息子の第二夫人』と書かれています。
…頭、悪そう…
大学時代、多国籍の人と交流しました
大学では国際的な環境に身をおき、東南アジアの国や文化の研究ができる学部へ。東南アジアを選んだ理由は、なんとなく、好きな雰囲気だったから。
…うん、やっぱり頭悪そう…
勉強もしましたが、その倍以上遊びました。
学生期間中は東南アジア料理のお店でアルバイトをしながら東南アジア出身の人たちに囲まれ、そのバイト代を使って東南アジアの国にいく生活。合計5回くらい行きました笑。
英語も、なんとかしゃべれる程度には上達し、国際的な職業への就職まであと一歩!
…というところで、気づいちゃったのです。
わたし、日本が好きだわ
多国籍の人と過ごす時間が多い環境の中で、気づいたら逆に自分の国のことが大好きになっていました笑
日本の文化。当時の若かりしわたしは、まわりくどいルール、習慣、決まり、儀式がたくさんあって面倒くさいと思っていました。
でも冷静になって考えてみると、それぞれの文化や習慣には歴史があって、そこには家族や親など、周囲の人たちからの愛情のようなものがあるからこそ成り立つ素晴らしいものなのではないか?
日本って、いい国。素敵な文化を持ってる。
日本人のライフイベントって、なんかいい。
わたし、日本人として生まれ育ってよかった。
国際派を目指したアジア好きのわたしは、日本の文化を継承したい若者になっていたのでした。
就職、そして挫折
いざ、大学卒業というタイミングで職業として選んだのはパーティープランナーでした。
冠婚葬祭、人のライフイベントの全てに関われる仕事として、パーティーというザックリしたカテゴリーを選択した、ということです笑
レストランのパーティー担当として、結婚式の二次会をはじめ、レストランウェディング、親族のお祝いごと、婚活パーティー、当時流行していた街コンなど、色々なことに携わりました。
パーティーのない日はそのレストランでサービススタッフとして「ワインはこちらでございます✨」みたいなこともしたりして、多忙な日々を過ごした結果。
過労で入院_| ̄|○ il||li
(これがホントの…)ちーん
退職することとなりました。
ブライダル業へ転身
パーティーというざっくり、でも全部!という仕事は体力的にも限界があったので、次の仕事はそれまで多く扱ってきたブライダル関係を選んだのです。
また、結婚式場は平日稼働率を上げることを目標にしている所も多く上手くいけばブライダル以外のライフイベントに携われるかもしれない。
そう思って入った会社で約10年働きました。
算数大嫌いでしたが、営業職ということで、社内の数字資料を作成したり、新郎新婦と直接打ち合わせする、出入り業者みたいなお仕事です。
週末は、多い時だと一日10組以上の結婚式を見ていて、拍手のしすぎで筋肉痛になったりもして笑。
楽しいお仕事で、毎日充実! そんな中、社内の技術部門の人と結婚し、今に至ります。
長くなってしまいました
つまりは、わたしの人生の背景には、ずっと仏教の信仰のようなものがあったんだと思います。
そしてそれが、お坊さんになりたい、なんて突拍子もない夢になってしまうのでした。詳細はまた次回。。